自分を知れば、知るほど、いろんな自分がいることに気がつく。
まるでそれは家のなかの住人のようだ。
あなたの家にはいろんな人がいる。
いろんな人がいればもちろんダメな奴もいるだろう。
うじうじ、悩んでいる人。
移り気で、何一つ続かない人。
わがままばっかり言っていて、子供っぽい人。
そしていろんな人がいれば、前向きな奴もいるだろう。
明るくて、進んでいく力がある人。
正直で、的確な意見を言える人。
思慮深く、冷静な人。
まるで別々の人格がいるかのように、時と場合によってどんどんと移り変わる。
自分を変えていこうとすることは、このダメな自分を追い出して、前向きな自分を大事にすることだと勘違いしてしまうことがある。
それはまるで家族の誰かを追い出し、そうすればうまくいくだろうとおもうようなもの。
でも家族のメンバーそのものは変えることはできないのだ。
なぜなら、内なる家族の住人たちは、それぞれあなた自身だから。
どうすればいいんだろう?
できることはたったひとつ。
「ああ。いろんな人がいるんだな」
とただわかること。
こんな奴がいて恥ずかしい、こんな奴は隠しておきたいと思う。
だけどダメな人はそこにいる。
前向きな人たちと喧嘩もするだろうし、お互いがつくづく嫌になることもある。
どちらかを無理やり変えようとして、厳しくすることもあるだろう。
そうして長い時間をかけて気がつくことは、
いるならいるでしょうがない
この自分たちでやっていくか
という、ひらきなおり。
ある意味これは、ひとつの悟りだ。
いろんな自分がいることを、そのまま隠さずわかっていること。
そのひとつの悟りがひらけたなら、
はじめてその家のなかがおだやかになる。
はじめて、内なる自分自身たちが、おびやかされず、高ぶらず、おだやかでいられる。
自分の家がおだやかでなければ、何を外からもってきたとしても、そこにはむなしさが残るだけだろう。
写真/鎌倉明月庵