現代では全員がかかっている病があります。
それは忙しさの病。
何かを得るために、何かをする。
これは現代ではあたりまえのことですよね。
ですが、これは本当でしょうか?
よく考えてみてください。
何かを得るために、何かをする。
この常識に私たちがどれだけ入り込んでいることでしょうか?
現代のシステムはより大きなエネルギーを必要とし、不要なものを吐き出す、巨大な歯車のようなものです。
そして目的は「ただ回し続ける」ということだけなのです。
あなたの生活を少し振り返ってみましょう。
もしあなたの生活が、回し続けることに必死になっているとしたら、それは現代の忙しさのシステムに呑まれてしまっています。
それがたとえスピリチュアルな事柄であっても、他の人を助けるための活動であっても、
忙しさの病であることには変わりありません。
もちろんこれがとても一方的な言い方であることは私にもわかっています。
だけど知ってほしいのです。
どれだけ私たちが、「ただ回し続けること」に必死になっているのか。
そのために、命と時間を費やしているのか。
労力を費やし続ければ、
いつか成功すれば、
私たちは幸せがやってくると信じています。
つまり
「何かをやれば、何かが得られる」
と信じています。
しかし、いったいその「いつか」はいつやってくるのでしょう…?
明日?一年後?それとも10年後でしょうか?
この
「何かやれば、何かが得られる」
という、期待を利用した現代のシステムにがっちりとらえられてしまっていること。
そして
いつかやってくる幸せ、という幻想に向かって進んでいるものの、それを本当の意味で得ている人は誰もいない。
これが現代に生きる私たちの疑いようもないリアルな現実ではないでしょうか?
私たちはそろそろ気づく時が来ています。
何が「幸せ」なのかが、私たちはわからなくなっていることに。
CMや広告で示されるような「幸せないつか」は、何をやっても得られないということに。
何よりも大切なのは、
目の前にある一瞬一瞬であるということに。
今朝あなたは、大切な家族に「誰よりもあなたが大切なのだ」と伝えましたか?
今日あなたは、目の前の大切な人に「愛している」と言えたでしょうか?
そして目の前の食事を、本当の意味で味わって食べることができたでしょうか?
新緑の風を、全身で感じましたか?
マインドフルネスとは単なるテクニックではありません
それはこの世界への態度そのものです。
もしあなたがいまこの瞬間にいることができれば、
毎日の家族との会話や、近所の散歩、そして呼吸のひとつひとつさえも
奇跡の連続としかいいようのない輝きを持つことになります。
マインドフルネスはサンスクリット語で「スムリティ」(念・気づき)といいます。
日常の何気ないひとつひとつに、「気づきの力」を与えていく。
これがマインドフルネスです。
このマインドフルネスはブッダの幸せの瞑想と呼ばれています。
マインドフルネスの実践によって、幸せはどこか遠くのもの、ではなく、いまひとつの呼吸で得られるものということを、あなたは知るでしょう。
それではマインドフルネスの手法を紹介していきたいとおもいます。
マインドフルネスのなかで、最も基本であり、永続的に行えるもの、それが呼吸のマインドフルネスです。
いますぐにできます。
さあ。やってみましょう。
①呼吸のマインドフルネスの実践
立っていても、座っていてもどちらでもかまいません。
少しだけ姿勢を息がとおりやすいように、整えてみましょう。
そして息を吸うときと吐くときに、アタマのなかで、次の言葉を言いましょう。
「吸っていることに、気づいている」
「吐いていることに、気づいている」
ではやってみてください。
呼吸を少しいつもよりゆっくりにして…。
「吸っていることに、気づいている」
「吐いていることに、気づいている」
これを繰り返します。
他の思考や、イメージなどがアタマをよぎったら、言葉と呼吸にまた意識を戻します。
たったこれだけです。
あまりにもシンプルでしょうか…?
だけどこのシンプルな実践のなかに、深遠な真実が含まれています。
まず現代を生きる私たちは、マインド(意識)の力が、あまりにも散り散りであること。
その原因は、マルチタスク(多様な必要性にいつでも対応できる有り様)を求められていることにあります。
このマインドの力を一点に集めることで、霧散していくあなたのエネルギーを外の方向から内なる方向へと変化させていくこと。
これがマインドフルネスの実践です。
これを呼吸からスタートさせ、次に歩くこと、食べること、眠ること、すべてに実践を移していくと、
「サマディ」(三昧・集中)
の状態へと、あなたは入っていきます。
そしてサマディにいつでも入れる状態になるなら、無限の創造性とインスピレーションとつながり続ける状態である
「プラジュンヤー」(叡智)の段階へとやがて入ることになります。
それではもう一度行ってみましょう。
呼吸に気づきの力を与えていきます。
「吸っていることに、気づいている」
「吐いていることに、気づいている」
この言葉と、呼吸に意識をむけつづけながら、5分ほど実践を続けます。
実際にやってください。
いかがでしょうか…?
人によっては、身体の感覚が変化する感じや、あたたかさを感じるでしょう。
しかしそれがやってこなかったからといって、失敗ではありません。
5分ほど続けたなら、呼吸をするときにアタマのなかで響かせる言葉を変えてみましょう。
今度は
「息を吸いながら、ほほえむ」
「息を吐きながら、手放す」
そして実際に、吸いながら微笑み、吐きながらストレスや思考が吐き出されていくことに、意識をむけつづけます。
また5分ほど続けます。
実際にやってください。
いかがでしょうか…?
何かしら、ゆったりとした感覚や、アタマがぐるぐ回らない楽さ、のようなものを体験された方もいらっしゃることでしょう。
②歩くマインドフルネスの実践
では次に歩くマインドフルネスの実践についてお伝えします。
これはとても愉快なマインドフルネスの実践です。
先程も書きましたが、私たちはどこかに幸せがある思い、そこに向かっていくことに必死になっています。
しかしここでは、「いつでも目的地はここなのだ」「いまこの瞬間こそが家であり、自分の故郷なのだ」というとらえ方を元に実践を行っていきます。
では立ち上がってください。
歩きだす前に、まずは呼吸のマインドフルネスです。
「息を吸いながらほほえむ」
「息を吐きながら手放す」
そして歩きだす前に、
「私の目的地は私自身なのだ」
と、少しだけイメージをしてください。
そして一歩一歩歩きながら、
「着いた、着いた」
「家に、家に」
と内側で言葉をくりかえしながら、ひとつひとつの動きに気づきを与えていきます。
さあ。やってみましょう。
とてもシンプルです。
歩きながら、
「着いた、着いた」
「家に、家に」
続けます。
5分ほど歩いてみてください。
家のなかでもかまいません。
…どうでしょうか?
とても愉快な気持ちになりませんか?
瞬間、瞬間、自分自身の家に辿り着き続けている。
これが真実です。
平和主義者である、AJムステという方は
「平和にいたる道はない。平和こそが道である」
という言葉を残しています。
戦争へと突入しようとするときに、民衆の心をつかむには、
「平和のために戦ってほしい」
と声高に叫ぶことです。
敵がせまっていて、自分たちがおびやかされていると。
しかしこういった言葉の裏の意図を私たちは知る必要があります。
同じように
「幸せがあそこにある」
という言葉は、大きな矛盾をはらんでいます。
それが金銭や地位を目指したものであれ、スピリチュアルな内面の境地であれ、同じことです。
いま幸せになれます。
どんなとらわれも本当の意味では存在しません。
あなた自身が呼吸に意識を向けること。
歩くことに意識を向けること。
本当の意味で目の前の人と出会うこと。
そこにこそ、大きな奇跡と無限の幸せがあります。
これこそがこのマインドフルネスの実践が伝えようとしている、ブッダが説く幸せなのでしょう。
※今回のマインドフルネスの実践については、ベトナム人の偉大な僧侶であるティック・ナット・ハン上人の本を元にしています。
もしよかったら、こちらをお読みくださいませ。