私たちの存在は肉体だけではなく、何か目に見えない部分もあるのではないか…?
こんな風に思ったことがある人は少なくないと思います。
私たちの存在は肉体だけではないということを話すと、
それは魂だ!死後も魂は継続する!
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、今日は魂の話ではなく、どちらかというとこの肉体側の話です。
西洋の古代からの神秘学では、人間にはこの肉体のほかに七つのボディがあると言われています。
アトランティスの叡知-ノウイング-ではこの七つのボディをそれぞれこのように呼んでいます。
- 肉体
- エーテル形態
- アストラル体
- コーザル形態
- メンタル体
- セレスティアル形態
- キリスト体
体、と形態とそれぞれ呼び方が分かれているのは、体といわれる箇所は境界線がはっきりとしている領域(かっちりしている感じ)で、形態と呼ばれる部分は境界線があいまいな領域(液体のような感じ)だとされているからです。
この七つのボディについて、なんとなく聞いたことはあるけど、なぜそれが存在するのか、何の役割を果たすのかよくわからない…という方がいらっしゃるのではないかと思います。
シンプルにいうと、七つのボディとは、魂のフィルタ-のようなものです。
コーヒーのフィルタ-を思い描いてください。
コーヒーは、豆そのものの香りと味をたのしむために、粉と液体が混じっている原液を濾過する必要がありますよね。
このフィルタ-の役割が、7つのボディといえます。
私たちの源泉である魂が、この肉体に降りてきて、人間体験を味わうことができるようにということで作られたフィルタ-の役割が、7つのボディです。
魂そのものの力と輝きはあまりにも大きく、広大すぎるので、そのままこの小さな肉体に宿ろうとすると、あっという間に、
肉体は「ぱちん…!」と風船がわかるようにはじけてしまいます。
だから魂の力と輝きを、適度にいなしてから肉体に入る必要があるのです。
フィルタ-とはいえ、それぞれのボディには、とても重要な役割があります。
そしてそれぞれのボディの役割があってこそ、肉体がはじめて機能できると言えます。
またそれぞれのボディの領域には、この地球と同じように広大な場所が実際に存在します。
たとえば、いわゆるあの世と呼ばれる場所は、アストラル体の領域のなかに存在します。
肉体以外の6つのボディ、それぞれの役割とそのボディに対応する、地球上の領域・階層について書いてみましょう。
・エーテル形態
エ-テル形態とは、私たちの『記憶』を司ります。
現代の科学では脳が記憶を司るとされていますが、実際には記憶そのものはこのエーテル形態の内側に保持され、脳はその記憶の受信機の役割をしているとノウイングでは言われています。
エーテル形態の階層は2層に分かれ、私たちの肉体側の記録を保持している部分と、魂側の記録を保持している部分に分かれます。
・アストラル体
体外離脱という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
眠りにつく前に、体が浮いた感じがして、家の外を浮かんでいた…なんて話をたまに聞きますよね。対外離脱をするとき、私たちは肉体を離れて、このアストラル体領域にまで意識が拡大していると言えます。
神智学などでは、星気体とも呼ばれ、この体外離脱状態で、他の星々へ旅をすることができると言われています。
またこのアストラル体の階層は3層にわかれ、上位、中位、下位アストラルと呼ばれます。上位は天国のような世界、下位は地獄のような世界であると言われ、死後の世界や、霊界といったものは、実際にはこの3層のアストラル階層からくるイメ-ジと言えます。
・コーザル形態
人類の集合意識を司る場所が、このコーザル形態・領域です。
この領域にまで意識を完全に拡大した場合、個人の人間としての悩みや葛藤は解放され、オリジナルの魂としての個性を意識の内側に取り戻すことが可能となります。
覚醒を果たした状態は、肉体を持ちながら、この領域にまで到達した人と言えます。
・メンタル体
思考エネルギーを司る場所が、このメンタル体・領域です。
地球のエネルギーと、人類の集合意識のエネルギーとが組み合わさり、地球の周りに思考エネルギーの層を形成しています。メンタル体は、その領域と個人とを結ぶ、コンセントのような役割を果たします。
・セレスティアル形態
セレスティアル次元とは、地球を取り囲む、ガーディアンや天使存在達が存在する領域を指します。
セレスティアル形態とは魂が物理次元に降りるための最初に身にまとうボディであり、魂意識を内包し、下位ボディにむけてのハーモニクスの調節を果たす役割をします。
・キリスト体(ブッディー体)
結合した魂が放つ、魂のエネルギーと源、その輝きそのものを、キリスト体と呼びます。
実際のキリスト教などとは直接の関係はありません。
文化によっては、この体をブッディ体と呼ぶ場合もあります。
覚醒を超えた、光明、解放の段階を達成したイエスキリストや仏陀の達成した意識状態からとられた名であると言われています。
忘れてはいけないことは、私たちの源は誰しもがこの状態であるということです。
と、ここまで書いてきましたが、この7つのボディ、階層は実は私たち日本人にとってなじみ深いものです。
一体どこが…?と思われる方もいるかもしれません。
この話は死後私たちが、肉体を離れ49日忌を迎える頃に、あの世へ行くという日本人なら誰もが聞いたことがある仏教の話とぴったり対応するのです。
現代の49日の法要は古来インドや、中国に由来すると言われています。
49日忌の概要としては、宗派によってもそれぞれ違いはありますが、概要としては似通っており、死後7日ごとに、あの世での7つの関門を通り、そこで生前の罪を告白し、穢れを落とし、7日×7カ所=49日の日に、次にどの世界に生まれ変わるのかが決まる、そのために生きているが供養や感謝を送ることで、死者の支援となる…といったものです。
この7つの関門を、49日かけて通過する…という下り。
この7つの関門とは7つのボディの領域をそれぞれ通り抜ける話とぴったり対応します。
死後、最初の7日間、私たちは肉体の領域を離れ、個人の記憶の領域であるエーテル形態をまず通過します。
ここでは、生前の記憶の整理をする期間を過ごします。
次の、7日間後(死後7-14日)、私たちは先程書きました、上位、中位、下位、それぞれのアストラル階層を通過します。
いわゆるあの世のイメ-ジはこのアストラル階層でのものです。
この時の人は自分自身を何者として扱うかにより、それぞれの階層での体験が変わります。
閻魔様が、生前の行いを映し出す鏡を見せ、罪人の罪をあばき、舌をぬく地獄のイメ-ジを実際に下位アストラルの領域で体験する人もいるかもしれません。
また極楽のような光景を上位アストラル階層で体験する人もいるかもしれません。
死者が自分自身を何者とするかによって、死後の体験が変わる、この過程は『チベット死者の書』に詳細にわたって書かれています。
そして次の7日間(死後14-21日)で、コーザル形態・領域へ到達します。
私たち日本人が、イメ-ジの内側で持つ、先祖様たちが待つ場所。
自分に近い顔をした、近しい人たちが待っている本当の故郷。
そんなイメ-ジはこの領域を通り抜けるときに体験するものです。
そしてここの領域では、『すべてはひとつ』『ワンネス』『ユニティ』などと呼ばれる意識状態に死者は到達します。
私自身がアカシックレコードにアクセスし、この領域に意識的に至ったとき、私自身のふるさとへようやく帰って来たのだという、とてつもない安心感がありました。
そして故郷の村の長老が私を出迎え、『ようやく帰って来たな…!ここから本当の世界なのだよ』と話してくれたのです。
いま思い出しても、魂が震える瞬間でした。
この先の領域はここでは省きますが、このように死後私たちは七つの階層を通り抜け、純粋な魂へと近づいていきます。
そしてここまで書いて、ようやく7つのボディを知る意味についてお話しできます。
通常の私たちは、目の前の現実にあくせくし、生き残りと葛藤のなかで肉体の意識にしばられ、広大な魂の意識をすっかり忘れています。
そして死後、自分自身が何者であったかを思い出し、この7つのボディを順々に遡り、脱ぎ去り、元の自分へと戻っていきます。
亡くなった方のことを、仏と呼ぶ習慣が日本にはありますが、この7つのボディをすっかり脱ぎ去り、悩みや執着がなくなった死者の状態を、仏-ほどかれた状態-と呼んだのです。
そして生きながらにして、この7つのボディを遡り、執着なく、いつでも脱ぎ去ることも
着ることもできる状態の人を、生き仏(目覚めた人)と呼びました。
私たちが肉体をもった状態で、本当の自分を知りたいと望むとき、意識は拡大します。
そして今世の自分自身の役割、過去世での自分をエーテル形態で取り戻します。
さらに、アストラル体からコーザル形態へ至るとき、私たちは理屈ではなく、『すべてはひとつである』という意識状態を体験します。
7つのボディを意識的に知る必要は特にありませんが、このような情報を知ることによって、これまで自分を知りたいと望んだ先人たちが、どのような道をたどって、自分自身-魂そのものの意識-へ辿り着いたのかというプロセスが見えてくるのです。
そしてもし、魂の意識にまで到達できたなら、この人生体験はいままでとはまったく逆の体験となります。
『何かをめざして、がんばり続ける場所』としての人生から
『やりたいことをやるために、喜び続ける場所』としての人生へと転換されるのです。
スピリチュアルな体験を目指して、がんばる必要は一切ありません。
私たち自身がスピリチュアル存在そのものとして、ここにいるだけなのです。
そんなことをお伝えしたくて、長々と7つのボディについて書かせていただきました。
お読みいただいた方、おつきあいいただき、ありがとうございます。