質問:最近、家族が亡くなったのですが、一番の供養はなんですか。
つうり:亡くなった直後の一番の供養というのは、先程お話ししたように、私たちが認めてあげるということなのですが、その後、何年も継続してできる供養というものがあります。
その話に入る前に、先祖ということについて少しお話しようと思います。
皆さん一度は聞いたことがあるかもしれない話ですが、私たちの父母から、10代溯れば、直接、血がつながっている先祖は約1000人。20代溯れば、約100万人。30代溯れば、約10億人という計算になります。
そして実際に、亡くなった方やご先祖さまというのは、私たちと深く繋がっています。
また日本では「守護霊」、西洋では「ガイド」などという言い方で私たちを見えないところで支えてくれている先祖の方々を呼ぶことがありますが、ここで皆さんに聞いてみたいと思います。
ひとりの人間につき、どれほどの見えない存在の守護霊やガイドが、直接私たちの人生を見守り、支えてくれていると思いますか?
―参加者の方々が、それぞれ人数を言う―
私たちについている存在は、人ひとりにつき、だいたい5万人くらいいるんですね。
5万人ですよ…!!
東京ドームが大体5万人収容できるので、東京ドームいっぱいの観客を思い描いてください。
その東京ドームの真ん中で、あなたが演劇の舞台に出ている。
そこにスポットライトがあたって、周りに5万人の観客がびっしりいて、固唾を飲んであなたの一挙一頭足を見つめている。
そして近くにいる人はスポットライトの明かりでなんとなく顔が見える。声援もはっきり聞こえる。
遠くにいる人は顔が見えなくて、なんとなく遠くに存在を感じるだけです。
これが皆さんの人生の別側面です。
近くにいる観客は最近亡くなった人達。
そして遠くにいる観客は先祖や縁のある人達。
いまこうしている間も、彼らは皆さんと共に人生を歩んでいる。
つまりこの部屋には亡くなった人達も、皆さんと一緒にいっぱいいるんですね(笑)。
そして話を供養とはという質問に戻しますが、なぜ彼らが固唾を飲んで私たちを見守っているかというと、自分たちが出来なかったことを生きている人にして欲しくて見ているのです。
少し考えてみてください。亡くなった方が、出来なかったことっていっぱいありますよね。前の世代の方だったら、戦争で出来なかったとか。身体の具合でできなかったことなど。
そして何よりも、自分自身が人生で本当にやりたいことをできたのかどうか。
これはとても大きなやりのこしなのです。
たとえ財を成し、社会的な成功を遂げたとしても、本当の意味で満たされ、本当にやりたいことを人生でできたのか、それは本人にしかわからないかもしれません。
そういった自分自身のやり残した思いを、自分の子や次の世代に託し、成し遂げてくれるかどうかを一生懸命見ているのです。
ですので、一番の供養というのは、皆さんおひとりおひとりが自分の本当にやりたいことをやり、親や先祖がやれなかったことを達成すること。
そして彼らが心から憧れてもそれを生きることができなかった状況を、皆さん自身が生きることです。
それをあなたが成し遂げ、生きることが出来た時、先祖たちはずっと抱えていた葛藤を、皆さんを通して解放することができます。
両親や、ご先祖は何を出来なかっただろうと少しだけ考えてみてください。
もし身近な人が亡くなった時、彼らがなし遂げることができるかったことは…と。
しかしここで大切なことは、何よりも大切なのは皆さんおひとりおひとりだということです。
ここで勘違いする人がいます。
「自分よりも先祖が大事」なのだと。だから墓石を磨けば幸せになれるかもしれないなどというと考えに至る場合もあります。
あるいは「自分のいま状況が悪いのは先祖が悪いのだ。だから供養が必要なのだ」と。
しかしその考え方は間違っています。
あくまでも大切なのは、いま生きているあなた自身の人生なのだということです。
もしあなたが達成すれば、彼らも達成されます。
しかし逆にあなたが彼らの思いを達成させる一心で、自分自身が何も生きていないとしたら、そんな供養には何の意味もありません。
たとえばお父さんが会社を経営していて、もう少しで一流企業に成れるというところで、過労死してしまったとします。
そしてあなたがその会社を継いで、会社を一流企業にまで成長させたとします。
しかし忙しくて忙しくて、毎日自分を振り返る暇もない。
それで供養は達成されたのでしょうか?
ひょっとしたら、お父さんが本当に望んでいたことは、「ただ安心し、満たされる毎日を送ること」かもしれません。
もしあなたがそのお父さんの本当の望みに気がついた時、それを達成できるように後押ししてくれるでしょう。
そして逆に財を成すことについてはサポートをしないかもしれませんね。
いずれにしてもあなたが出来る一番の供養は、真のあなた自身を生ききること。
それに向かって、歩んでいけば、一緒に先祖たちをあなたと共に同じ方向へ向かっているのだと気がつくことでしょう。
『スピリチュアルドクター・アカシック坊主と死について語る』より