引用元 「微笑みの風」 様 HPより抜粋
http://www.windofsmile.com/#!tojapan/caaw
(ティクナットハンさんの来日を運営してくださっているHPです)
「日本の皆さまへ」
今この瞬間を生きるすべを知っていれば、それ以上によい日はありません。
真の幸福は、近い将来や遠い未来で私たちを待っているのではありません。
それは、今この瞬間だけにあるものです。
私たちに少しの時間とマインドフルネスさえあれば、この事実に気づくことができます。
幸福になるために、ものを買ったり、どこかへ出かけたりする必要はありません。
「いま」「ここ」というほんとうの我が家に戻ればよいのです。
それには、意識的な呼吸を二、三回、マインドフルに行うだけです。
呼吸を通して心とからだがひとつになるとき、私たちはいのちを吹き返します。
しかし、たいていは忙しさにかまけて、自分のからだがあることさえ忘れているのです。
私たちの心は、未来を心配して計画ばかり立てているか、後悔と悲しみと怒りで過去に縛られているかのどちらかです。
かりに通勤電車の中で一分間座れたとしても、静かに落ち着いていられるすべを知りません。
そうした状態に慣れていないので、何もしないと居心地が悪くなり、
すぐにiPhoneを取りだしてショートメールを送ったり、ゲームをしたり、本を読んだりし始めるのです。
私のよき友であった故トーマス・マートン神父の言葉を借りれば、次のようになります。
「現代にまん延する暴力の形は、アクティビズム(積極行動主義)とオーバーワーク(過労)である。
現代生活のあわただしさとプレッシャーは、暴力の本質が最もありふれた形をとってあらわれたものであろう。
いくつもの相反する関心事に夢中になり、多すぎる要求を受け入れ、たくさんのプロジェクトに全力でかかわり、誰でも何でも助けたいと思うことを自分に許してしまうのは、まさに現代の暴力に屈服することなのだ。
アクティビズムの熱狂は、私たちの平和への取り組みを骨抜きにしてしまう。
その熱狂は、平和を求める内なる能力を破壊する。努力を結実させるための内なる智慧の根を殺して、取り組みの成果を破壊するのだ。」
忙しさは現代の病です。
平和のために活動しているとか、環境を保護するために尽くしているといってはばからない人たちでさえ、自らに課した過度のプレッシャーとストレスのもとに行動し、身心両面の健康を犠牲にしています。
「時間をむだにしてはいけない」と私たちは教えられました。
もっと行動し、もっと達成し、さらに結果を出せ、と。
速ければ速いほどいい、というわけです。
でも見てごらんなさい。
そのような集合意識は私たちをどこに導きましたか?
さらなる効率と便利さを求めた私たちは、とてつもない犠牲を払いました。
子どもたちによりよい未来を確約するために、さらに長い時間必死に働いて、そうしてその子たちに何を残しましたか?
今後何十年もの間、原発事故の影響下で生きて行かねばならないのは、その子たちです。
私たちのからだ、言葉、心によるすべての行為には、個人としての果実と集合体としての果実があります。
精神を物質主義に置きかえた社会は、その行いの果実である結末を自ら目にしなければなりません。
日本の社会の主流にはいわゆる「宗教アレルギー」があり、宗教の話はタブーであると私は理解しています。
人びとは宗教を怖れ、避けようとしていますが、ほんとうは自分にわからないもの、理解できないことを怖れているにすぎません。
それをただ光で照らせばよいのです。そうすれば新しい発見があり、うれしい驚きがあるでしょう。
そこには、祖先からひと世代づつ受けつがれてきた伝統という名の最もすばらしい宝があります。
私たちが探しているものは、幸福と自由と平和とともに生きるための、怖れと絶望の呪いを解く鍵です。
その鍵は、私たちがずっと避けようとし続けてきたものの中にこそあるかもしれません。
大切な子どもたちによりよい未来を築きたいならば、それこそが、社会という集合体としてすべきことなのです。
私たちは、ただの亡霊にすぎない安全や地位や金銭や権力を「幸福」と呼んで追い求め、あまりに大きすぎる犠牲を払ってきました。
今、スピリチュアリティを私たちの生活の中に取りもどすときがきたのです。
日本だけでなく世界全体が、現在を犠牲にして遠い未来の亡霊を追い求めることを止め、この瞬間の中に目覚めなければなりません。
未来は現在から作られます。
美しい未来を確実にする最良の方法は、「いま」という瞬間を美しく生きることです。
心配も後悔もなく、自由な人として生きるのです。
「いま」「ここ」に生きていることの奇跡を楽しむのです。
そのために必要なのは、ほんの少しの時間とマインドフルネスだけです。
ティックナットハン
以上、引用終わり
私自身も、近頃は東京で過ごす時間が多く、様々な場所に呼んでいただける機会もあり、ともすると忙しさにのまれそうになる日々ですが、このティックナット上人の言葉を聞いて、そうだよなあ…としみじみ。
ここに書かれているように、
「忙しさは現代の病」。
そしてこの部分は特に大切です。
↓
いくつもの相反する関心事に夢中になり、多すぎる要求を受け入れ、たくさんのプロジェクトに全力でかかわり、誰でも何でも助けたいと思うことを自分に許してしまうのは、まさに現代の暴力に屈服することなのだ。
私たち、現代人は求められること=愛されること、という勘違いを起こしていがちです。
何かを要求され、求められると、自分が必要とされているのだ、自分には価値があるのだ、と思いこんでしまうのです。
そして仕事や人間関係のなかで、求められた期待に答えようとして躍起になっています。
すべての人の期待に答えることは決してできないことは、もちろん皆さん、アタマではわかっているのですが、それが当たり前になってしまっているので、どうにもならないのですね。
そして最終的には、抱えきれずに、体調や精神のバランスを崩し、期待や要求を大きく裏切ることになってしまいます。
日常が忙しい方々の多くは、「もうダメ!!限界!!」となるその時を求め続けているようにすら思えます。
いまこの瞬間に集中すること。
そして「多すぎる何か」
ではなく
「たったひとつの目の前の出来事を味わうこと」。
これこそがいま私たちが本当に必要なことなのかもしれません…。