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自殺について-こうだったはず・「恥」を手放すこと-

自殺について-こうだったはず・「恥」を手放すこと-

自殺について

お葬式の現場にいると、どれほど自殺の方が多いのか肌身に感じます。

いま日本の年間の自殺者は3万人と言われています。

これほど自殺率が高い国は日本だけなのですね。

現代の日本にとって、自殺は本当に考えなければいけないテーマです。

そして恥と自殺は実は関係が深いものだと私は考えています。

日本人の真面目さ、モノづくりなどに関する真摯さなどは、海外から比べると驚くほどの水準を誇る場面があります。

たとえば、都会の電車の時刻。時刻表どおりにぴったり電車が来る事を日本人は当たり前のように感じていますが、分単位でこれをきちんとこなすのは日本だけなのだそうです。

これは個人の気質というよりは、日本人全体で保ってきた精神性、理想とする水準の高さを、皆が持っていることのあらわれでしょう。

しかしこの精神性や理想の高さというものは、それが果たされなかったときに、大きな苦しみを生みます。

恥は「こうだったはず」という思い、つまり理想と現実、こうありたい自分とそうでない自分とのギャップなのです。

日本人の持つ「恥の文化」の特徴とは、この水準の高さと、それを果たせなかったときの社会的責任、世間からのまなざしが強すぎることにあります。

切腹などはこの代表的なものと言えます。

自殺をする人は現実から逃れようとして自殺するのではなく、真面目すぎる気質や、理想が高すぎる性格が産み出した「こうでなければならない」という理想の自分と、いまの自分とのギャップ-つまり恥-によって、苦しみ、自らを追い込んでしまっているように私には感じられます。

もちろん恥の文化が産み出すのは、悪い事ばかりではありません。日本人が世界に誇る数々の業績は疑う余地もありません。

ですが、強すぎる理想がもしも命を奪ってしまうようなら、何が優先なのかをもう一度私たちは問い直してみる必要があるのではないでしょうか?

またこれは社会的な立場がある人たちだけの話ではありません。

恋愛、借金、病気による苦しみなどで自殺をしたいと思うきっかけとなるものは、やはりこうでありたいという自分と、それが得られない自分とのギャップなのではないか…と僕は感じます。

この理想の強さが、恥の強さとつながり、世界で最も高い自殺者をつくり続けている事に、私達日本人はそろそろ気がつくときなのかもしれません。

仏教では亡くなった後、人は自分の心の内側に行くと言われています。

いわゆる地獄で様々な苦しみをうけるという話は、自分のなかの自分を責めてしまう心のありようを言い換えたもの。

また西洋神秘主義の考え方では、こんな話があります。

自殺して亡くなった場合、その人は人生の振り出しに戻ると。

つまり、もう一回人生をやり直すのだと。

そして自殺したそのポイントを超えて生きて全うするまで、その人は人生を繰り返しやり続けると言われています。

自殺そのものが悪いことである、と言いたいわけではないのです。

問題は、自殺するときのその人の心のありようが、恥と後悔に満ちたものであるなら、その後もその苦しみは続くかもしれない、ということなのです。

だから「私は自殺したいのです」という相談を持ちかけられたときに僕はこんな風に答えます。

「自殺しても、あなたの自分を責める苦しみからは逃れる事はできませんよ」と。

そしてこの仏教の話や、西洋神秘学の話を伝えます。

とても厳しい意見のようですが、こういわれた人はもう自殺はできません。

逃げ場所がないことに本当の意味で気づいてしまうからです。

そしてまた、誰かに自分が苦しんでいた事を知ってもらいたいために自殺をする人もいます。

こんなに苦しんでいた事を、誰かにわかってほしい-。

親から受け継いだ価値観がこんなに自分にとってつらかったことを、親にわからせたい-。

これは周りの人にとっても、一番つらい自殺です。

さて。いまとても上から、私はこんな話を書いているように見えるでしょうか?

私自身も10代の終わりに、2年間ほど誰ともあわずに自分を責め続け、自殺を考えた時期がありました。

人生どこまでいっても罪をつくり続けるだけで、人間などは消えてなくなればいい-。

誰にも心許さず、本当にそう思っていました。

ですがいまその時期を振り返って気がつく事は、どれだけ自分が理想とするものが強すぎたのか、そして誰かにわかってほしいと思っていたかということです。

人生は不思議です。

自分をわかってくれる人など誰もいないと信じていると、本当に現実はそのままになります。

そして自分がたださみしさを抱えているだけなんだ、と気がつくと、同じようにさみしさを抱えた人が集まります。

そして自分で自分を満たすとき、本当に現実に自分を満たしてくれる人が現れるのです。

もし自殺の問題で苦しんでいる人がいたら、私はこんな風に伝えたいと思います。

その苦しみは、いつかかならず癒されます。

そんなに高い理想を果たさなくても、あなたをわかってくれる人は本当にいるんです。

もしあなたが本当に望めば、現実は変わります。

死ぬのは、それらを味わい尽くしてからでも遅くないんです。

自殺をした人が、ご家族、友人、恋人などでいる方へ-

まず覚えておいてほしいのは、「誰も間違っていないし、悪くはない」ということです。

もしあなたが何かできることがあったのではないか、自分がいたらなかったのではないか、と自分を責めてしまうことがあるなら、それはやめましょう。

何の解決にもならないからです。

生きている人はみんな、ゆっくりと自殺をしています。

体に悪いと知りながら、食べたり飲んだりしてしまうとき。

ストレスがかかっているとわかりながらも、休まずがんばってしまうとき。

私達は自分で自分を死にむけて近づけています。

死は人生に対する反応です。

肉体が本来持っている寿命よりも、ずっと短く現代の私達は死んでしまうと、仏教では伝えています。

どんな風に自分を扱ったのか。それが死として現れてくるのです。

その意味では、自殺も病気などで迎える死もそれほど変わりはありません。

人は皆、自分で自分の死を選びます。

こうしているあなたも、日々ゆっくりとやってくる死を自分で選んでいるのです。

そして誰も人の心の内側を変えることはできません。

あなたの毎日を誰かがずっと指図することはできないように、あなたが誰かをずっと操作することはできないのです。

つまり私が言いたいことは、死に関して、誰もその人を変えることはできないということ。

このことをわかった上で、身近な人の自殺について考えてみることが大切です。

前に書いたように、恥のとらわれは、心の奥深くで自分を苦しめています。

どんな恥のとらわれが、自殺した人にはあったのでしょうか?

こうなりたいという高い理想がその人を苦しめていたでしょうか?

また誰かにわかってもらいたかったことがあるのでしょうか?

亡くなった直後にこれらのことを考えるには、少ししんどすぎます。

しかし亡くなってすこし時間がたって、自分でも整理したい気持ちが出てきたなら、これらについて少し考えてみましょう。

そして身近な人であればあるほど、私があなたに気がついていてほしいことは、自分自身の恥や、こうありたいという自分の理想と、その人の持っているものがどんな風に重なっているかということです。

もしご家族であったなら、家族のみんなが持っていて苦しんでいる高い理想やこうあるべきというものがあるか、深く話し合ってみましょう。

そして自分やいまいる家族の皆が、その理想などによって、どんな風に苦しんでいるかについて考えてみましょう。

すこし回りくどいように感じられるかもしれませんが、自殺した方は、あなたの持っている苦しみをより誇張した形で、あなたに伝えてくれているのかもしれません。

そしてあなた自身が自分の恥と後悔のとらわれから自由になることで、自殺した方のとらわれを共に解放していくことができます。

すべてはあなた自身のあらわれとして、目の前に現れている現実をとらえてみること-。

これが自殺した身近なご家族へ、私がお伝えしたいことです。

『後悔ゼロで生きるために、いまのうちやっとくこと』(大和書房)より

 

 

 

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