儀式

あなたを自由にする「儀式の力」

あなたを自由にする「儀式の力」

儀式と聞くと皆さんどんな印象がありますか?

儀式…?

なんか堅苦しい…自分には関係ないし…結婚式なんかもいらない…と思う人。

すごく大切だよなあ…神社巡りなんかも好きだし…と思う人。

はたまた。

儀式と聞いただけで、なんだか鳥肌が立つようで、逃げ出したくなる人。

印象は人によって本当に違いますよね。

しかし儀式って実は、ものすごく私たちと関係があります。

私たちの日常は儀式だらけといっても過言ではありません。

儀式と無縁でいられる人はいません。

儀式って信じられないくらいパワフルなもの。

儀式との関わりを変化させることは、人生を変えることと大きく関係があります。

そして世の中で何か大きなことをなし遂げた人は、儀式の力の秘密を知っています。

なんのこっちゃという感じの方もいるかもしれませんが、説明していきますね。

私たちが一定のパターンで繰り返す行動。

これは儀式です。

食事の前に、祈りを儀式とする国や文化がありますが、同じように繰り返すパターンこそが儀式なのです。

あなたの日常をすこし振り返ってください。

朝起きてからの行動が決まっている方。

ふとんをとって、伸びをして、顔を洗って…と同じ手順であなたが繰り返すなら、それは儀式なのです。

歯を磨く順番が決まっている方。奥歯から始まって、横、前、しゅこしゅこ…同じパタ-ン。

これは儀式です。

そして仕事へ行くとき、まったく同じ道を常に通る方。

これも儀式です。

家族や、奥さん、旦那さんといつも同じような会話の流れで過ごし、同じようなパタ-ンで喧嘩をしたり、いらいらしたり、仲直りしたりする方。

あなたの会話は儀式そのものです。

これら日常での儀式は、「あなた自身を変化させないための儀式」です。

どういうことでしょうか?

私たち人間には、肉体と魂があり、それぞれ特性が違います。

肉体側の特性は安全・安心を求め、魂側の特性は毎瞬の新しさ・よろこびを求めています。

そして私たちの肉体側の知性は、動物的な知性であり、繰り返されるパタ-ンを求めています。

犬が、いつも同じ道筋の散歩道を求めるように、私たちの繰り返しのパタ-ンのなかに、安全・安心を見いだします。

逆に違う道筋を通ること・いつものパターンからはずれることは危険を意味します。

だからこそ私たちは日常をパターン=儀式によって、ばっちり固めています。

そしてこの日常のパターンによる儀式は「あなたを変化させないための儀式」です。

この安全・安心をベースにした、あなたを変化させないための儀式に気づかない限り、あなたの人生で変化を見いだすことは難しいでしょう。

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明日から自分は変わる!と思っていても、なぜ私たちはそれを続けられないのでしょうか?

繰り返しのパターンの儀式を行っている限り、どんなに魂が変化を望んでも、肉体側が元に戻ることを望んでいるからなのです。

そしてまた、自分の言動や、健康に関することなど頭では考えて間違っていると思うことすら、私たちは日常のなかでパターンとして続けてしまいます。

良い、悪いではなく、私たちの肉体は繰り返しのパターンを最優先にするからなのです。

これは頭で考えて決めたことよりも、肉体側の繰り返しのパターンがもたらす儀式の方が、遥かに大きく、強大な主導権をもっていることの証明です。

「わかっちゃいるけど、やめられない…」

これが本音です。

そう。

何かを変えたいとは思うけど、つい元の行動を繰り返す。

何度も繰り返しますが、これはあなたが『あなたを変化させないための儀式』を行っている結果なのです。

いかがでしょうか?

儀式と無関係な人はおらず、またどれほど儀式がパワフルなのかということが、なんとなくつかめていただけたでしょうか?

そして、この儀式の肉体が持つ繰り返しのパターンを逆に利用するということこそが、人生を大きく変化させる重要なポイントなのです。

そして次は「あなたを変化させるための儀式」について。

繰り返しの行動を求め、パターン化する「肉体の知性」を逆利用したものが、「あなたを変化させるための儀式」です。

このやり方をよく知っていたのがかつての宗教です。

日本人なら誰もが行う、食事の前の儀式。

いただきますと言い、手を合わせる。

かつて僧侶たちが、誰にでもわかる形で仏教を広めたいと考え、難解なお経などではなく、日常のなかで誰でもできる、神仏、自然や人との繋がりに感謝をもってもらうためには…と意図し、このようなやり方が一般に普及したのではないかと思います。

(いただきますの言葉には諸説ありますが、私は僧侶ですので、仏教由来説を書かせていただいています)。

ここまでで書いたように、人は繰り返しのパタ-ンに弱いもの。

いまこの文を読んでいる方で腕時計をしている方がいたら、逆の腕へつけてみてください。

最初はとても気持ちが悪いですよね?

しかしそれを一カ月つけ続けたと想像してください。

きっと今度は、元の位置が不自然に感じると思いませんか?

ある程度の期間、新しい繰り返しのパターンを保つと、今度はそれそのものが、永続的なパタ-ンとして肉体の知性は理解し、インプットし、新しいパタ-ンを繰り返すようになります。

そして新しいパタ-ンには、新しい意図が必要です。

上記のいただきますの例で言うと、いただきますの言葉を知らなかった当時の人たちも、ある程度繰り返すことによって、感謝の意図を含めた儀式を自然と行うようになってしまうということなのです。

つまりあなたを変化させるための儀式とは、「新しい意図を持った言動をパタ-ンとして繰り返し行うこと」です。

人を変化させるためのテクニックとして、繰り返しの儀式を宗教の教えなどで使用したのは、このことをよく知っていたためです。

まとめます。 

「あなたを変化させないための儀式」を打ち破り、わかっちゃいるけど、やめられない状態をぬけだすには。 

あなたがどうなりたいのか?という意図を定めること。 

「行動のすべてを自分の意図が反映する儀式として扱い、意識的に日常を過ごす」ということ。 

それが「あなたを変化させるための儀式」です。 

ひとつ例を挙げたいとおもいます。

ベトナムの高僧、ティックナット・ハン氏が、日常でいつも唱えると良いマントラにはどのようなものがあるのかと訊ねられたとき

「愛する人よ。わたしはあなたのためにここにいる、という言葉を日常でいつも口することをおすすめします」

と答えました。

これも日常でできる儀式の形のひとつです。

パートナーや家族との関係につまずいたとき、もしあなたがこんな言葉をいつも口にできる儀式のパタ-ンが身についていたら…と想像してみてください。

なんだか、ちょっと(かなり?)恥ずかしいけど、もしパートナーがこんな言葉を口にしてくれたら、ほんわりと何かがほどける気がしませんか?

また私自身の儀式の例を挙げたいと思います。

昔、私は怒りと自分への裁きがとても強い人間でした。

他者が間違っていると思う時、自分が失敗してしまったと思う時、それこそ徹底的に、相手を攻め、自分自身を裁くという儀式を行っていました。

そうすることによって自分を奮い立たせ、正しいことをしているのだと信じ込ませるための儀式だったと言えます。

でもあるとき、怒りと裁きによる人生にはもう懲り懲り。絶対に戻りたくない。

変化しよう!!と強く意図した瞬間がありました。

そしてシンプルな新しい儀式を思いつきました。

何かトラブルがあったとき、自分自身を怒り、裁く儀式の代わりに 

「本当に。本当によくやっているよ。どんなことがあっても、私だけはあなたを認めているよ」と自分自身に声かけをするという儀式。

この儀式ははっきり言って、とても効きました。

それでも納まらないときには、何度も自分に言ってあげると、子供がしばらくすると言うことを聞くように、頑固な心が、じんわり・ゆっくりほどけてくるのがわかりました。 

パタ-ンを繰り返す私たちの肉体側の知性は、子供のようなものです。

その要求を理解した上で、親である魂が意図と方向を定め、肉体と協力をしていく。 

繰り返しの儀式のパターンをこのように使うことで、肉体の求める安心・安全と魂の求める毎瞬の新しさ・よろこびが統合されていきます。

そのしくみさえわかっていれば、日常を意識的な儀式とし、人生を変えていくことは何も難しいことはありません。

 

 

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